気さくな人

2006年1月7日 日常
昨日、兄が誕生日だったので今日なにかあげる。
さっそく「ホームバーセット」で検索したら70万円、却下。
むしろ自分が欲しかった。
ビールサーバーは一種類しか入れられない。缶派だろうし。

いろいろ考えるうちに一周して、もう消しゴムでいいや。とかになってくるから困る。
宅レコ風が好きなので買った、が。
やはり今までのCD、完成度が高かったんだと実感。

適当に半無意識で独り言が流れるを録りつつ音出しつつ酒飲んでしまう、ような気がしてしまう。聴くたびに。
MATATABI IN MY EYES
半袖の人多いを懐かしくなったり。夏のオフィス街。
あれは冷静過多な雰囲気で宜しい。
それを生かす時点に死なないよう努める。

斬るような演奏、羨ましい。
  
さての持ってはモールをくぐり歩かせる郷道。
二股ヘッドフォンプラグ探しに。
けど今はまだ部屋で発火煙草を鳴らす。

TRACKS

2005年12月31日 日常
青山の道にアーチがかかっていて、そこに「Fcuk」と書かれていたから目を疑った。
まあ、疑ってよかったんだけど。

池袋のタワレコでCDを買った。ナンバガの珍しいCDだ。

吉祥寺の「伊太利屋」に今年は行けなかった。

明日は1年で最も好きな散歩道を歩こうと思う。
浅草や渋谷なんかより、普段との落差を感じるコースがある。
それは「ブロードウェイ」→「サンモール」という中野である。
滑走路にしても良いくらい空いているのだ。
7月下旬、夜中の2時、大通り、あれ同様。

頼むから  静かにしてくれ  除夜の鐘
   フィードバックする  死出の門出かな

※そういやレイモンドカーヴァーの『頼むから静かにしてくれ』
 あれ、買ってなかった・・・

俳句ってこんなものだっけな?

鋭いと思うことは

2005年12月30日 日常
ナイフ。とかじゃなくて。

前に長パンという友人に「人肉を食べてみたいか?」と質問したところ、いやだよと返事が。
「どうして?」との問いに「だって美味かったらどうするんだよ」と。
同じように彼は「タッタくん(自分)、どうして金は使ったらなくなるんだろう?」と。
まるでナイフのようなことを吐くのだ。吐くのである。
以前も書いた気がしてきた。

そして除夜の鐘が嫌いだ。うるさいのだ。しつこいのだ。
おもいっきり8ビートで鳴らせば、すぐ終わるだろう。

日記を存在ごと忘れた。久しぶりで2日早く新鮮な気分でございます。
この国は正月にろくな食べ物がない。寿司は5〜6月が旬だっけ。
蕎麦、たしかに新蕎麦はいいかもしれない。
そうだ、浅草の藪に行って蕎麦をたべよう。なに藪だったか。
検索したら出てきた。
並木藪である。喋りすぎである。死ぬべきである。by又吉イエス

機知なき

2005年12月17日 日常
マフラーと手袋をする時期になった。
寒波なんて。
ビールでも飲んで洗いたいや。とんでもない。

ダニー・ボーイとEight Beatという曲を長いこと弾いた。
1円株を買いたかった。うまい棒より安いなんて。とんでもない。

暮れて

2005年12月14日 日常
暮れては終電の時間帯。
しばし目をつぶる。ぼやーっとした感覚がひさしぶりだ。
そういえば昔、六本木から新江古田に向かうのに何往復もした。
間隔こそ短くなるが、振り子のように止まれないのだ。
あの眠りの境地に敵はいない。
背負って逃亡する
わけあって半日だけ家に大金が存在した。

兄がリュックに入れて持ってかえってきた。これだけで10kgある。
もちろん自分の金ではないのだが、人生のなかで手に取った最高額だろう。
誰も見ていないときにこのリュックを背負い、鏡を見る。
一生困らない金かというと、そういうわけでもない。
冗談半分でいろいろと想像をしてみた。
すると家族のチャッピーとメンボウがすり寄ってきた。
まあ、こいつらがいたおかげで逃げずにすんだ。

よく千万円くらいで殺人が起こったりする。
そう考えると面白い。「金は命より重い」とは言ったものなのか。
実際は現実感がない。

今日のことを悔やむ日がこないことを願いたい。

映像傘下

2005年12月12日 日常
整髪。ハードムースを5年ぶりに買った。
それくらいの使用頻度である。髪を切るのに失敗するとしばらく使う。

池袋のHMVで「こねこ」という題名のDVDが売っていて、去るのに苦労した。
あれ、次に残ってたら買ってしまう。
撮影者まで猫なのでは、と疑うくらいのアングルだとか。
猫はつくづく反則だ。
また冷え性がひどくなってきた。体は今日も死体の温度。
なんだか明るみの気味悪いこと。
と思えば、今にも落ちてきそうな空に変わる。
子猫を脱したようなメンボウが膝の上に。「ヤン、ヤン」と鳴く。

ずっと前、国語の教科書というものに
「寒いね」と聞けば、「寒いね」と返す温かさ。
というようなことが書かれていた。ときどき思い出す。

※調べてみたら
「寒いね」 と話しかければ 「寒いね」 と答えてくる人のいるあたたかさ
万智という人の短歌らしい。
ちなみに重要なのは「そうだね」と返さないあたりなのだ。

日曜日。予定もないので外に出る用はないが、とりあえず出かける。
夜はジョギングなんてのもいいか。
先週行ったショット・バーにも顔を出さなくてはならない。
前日、東長崎駅前に自転車を置いて飲み、放置。
当日、撤去済みを確認。
200メートルくらい離れたところに移動させられた。
区の言うに撤去費用1台5000円以上、この世のお決まりごとみたいだ。

アコースティック・ギターをひさしぶりに。
音はいいけど、腕が目立つ。
アに濁音つけて歌ってだなあ。そこから先がないんだよ。
いっそ「リリィだ! リリィがいるぞー!」なんて言うなら続く。
でもリンゴは持ってない。

走ること

2005年12月6日 日常
冬の寒さ、なぜ好きなのだろう?
ついに答えを得た気がする。いや、寒いのは嫌いだけど。

走ったりして体が熱くなったとき、顔なんかは非常に冷たい。
その温度差が・・・。
すぐに冷めそうなのだけれど、それを防ぐように野生の本能のようなものが沸く。
立ち上がるように胸の芯から熱い感情が込みあがる。
冬場は特に、そのせいで走ることが大好きだ。
その温度差が生きている証拠のように思える。動物としての本性というかな。
マラソン選手がコップを掴み、水分補給をし、投げ捨てる様。
人間というよりは疲れきった野生動物。小賢しい外聞なんてない。
そういうものが走っている最中、そして走り終わった後にはある。
世界が涼しくなり、全ての力を振りしぼり終え、何もないような、許せるような。

書き終えてみて、それじゃまるで性交みたいだな、とか。
とあるバンドの曲に「愛なんて結局 動物には無理だろ」って歌詞がある。
いちいち細かく定義を決めたり、理由つけたり、小賢しいのはたしかに人間だけだな。

気がつけばピックも、筆も、ペンも、足も、半分無心で動かしている。
それが芸術だの、才能だの、その境界や領域、意味はわからない。
けれどそうやって完成させた結果を前に、人間なら心から感動する。するべきだ。

青臭いことだけど、それが俗に言われる一生懸命ってやつかと。
「生」をあるひとつに刻みこむから、一所懸命ではなく一「生」懸命なのだ、と勝手に。
生が懸命なのか、場所に懸命なのかってことじゃないのか。
________________________________
酔ってて変なこと書いてた。
本当に11月が終わってしまったんだよなあ、などと今更ながら。

ところで、18歳や19歳のころは「あー、10代も終わるんだな」など思っていた。
ほんの1年か2年の時期が移ることなのに。
誰も「あー、24歳も終わり。・・・ついに25歳かあ」などと感傷に浸らない。
どこまで十進法なんだか。

最近の寒さ。
なんだか散歩がしたくなり、夜はとぼとぼ歩いてしまう。
寂寞がよろしい具合なのです。

ニコラシカ

2005年12月4日 日常
ちょうど金曜にニコラシカを飲んだ。
以前、2軒くらいに「やってない」と断わられ、
レシピや技術的にも「本当にやってないの?」と疑いたかった。
そこにきて念願の二コラシカはそれなりに感激だった。

昨日、さっそく適当にブランデーを買ってきて、家で作った。
飲んでから作るカクテル。
なんだか胸が苦しいのだ。
明け方から屋根に登ってみた。
冬の乾いた匂いとぼやけた光。道端をぽつぽつと人が歩いていく。
それを見下ろしながら、自分はどこか動物的な感覚を刺激される。
多くは猫科の生き物などがそれだ。高いところには外敵が少ないため安堵が。
まあ、定番といえば定番な情景だったので、感傷に浸ったことも否定できない。

シャワーを浴びたばかりだったから風邪をひきそうになった。

小学生の喧嘩

2005年7月10日 日常
甥っ子が学校で喧嘩して、彼の父親である兄が呼ばれたらしい。
両者がハサミを持って喚いていたとか。
祖父も少し説教をしたけれど、手応えがなかったらしくて凹んでいた。
それは言ってもわからないだろうな。
良い、悪いではなく「恥」として捉えることが手っ取り早いと思う。
「殺してやる」なんて叫んでいるところをビデオで撮って、あとで見せてやったら本人は恥ずかしくなって凹むのではないだろうか。
仮に相手を傷つけた場合、それはずっと尾を引くと思う。

まわる

2005年7月7日 日常
意識が体をリードした時点。
それに逆らうかの如く、体がいつの間にか動いた時点。
気づけば居た時点。
酔い。自分は気がついたら歩いていたことがある。
酒。何もかもわからなくなる可能性。

食を楽しむ程度ならいいのだけれど、限度は超えてはならない。
けれども発散という意味では魅力的である。
全力疾走で階段から転げ落ちたことがある。
覚えているのは、翌朝の「痛い・・・」だけで得などない。
腐敗政治の加速によって怒れる民衆の手で革命が・・・。
真面目に語るわけにはいかないが、そういう混沌を妄想しないわけでもない。

とりあえず選挙は国民の義務だと思う。けれど自分は行かないな。
権利だと思っている人は選挙を馬鹿々々しいと思っていることが多い。
義務だと思っている人は社会を良くしようと考えている。
税金が上がれば投票率も上がるだろう。みんな増税反対派を選ぶ。
同じように宗教の支配に対しても言える。
政治屋はここらへんの駆け引きをうまくコントロールしているのだろうな。

書きたいことがまとまらないが、それでも自分は選挙に行かない。
それは自転車に鍵をかけずに離れる行為に等しい。

映画の館

2005年6月27日 日常
頭を空っぽにして旬な映画を観ようと決めていたのだ、今月は。
それでも観て損をするタイプの映画を避けようとした結果、絶滅寸前となった。
残るは「バットマン・ビギンズ」と「ミリオンダラー・ベイビー」かな。
落ち目のスピルバーグの「宇宙戦争」は危険との判断。
注目の「スター・ウォーズ/エピソード3」は友人から借りて観てしまった。

やっぱり渋谷とかの欧州映画を上映している映画館が無難か。
5歳の時に母親から引き離され、過去を失い、悪漢バーとに育てられたダニー。カレはバートの金儲けの道具として、闘うことしか知らずに生きてきた孤独な殺人マシーン。首輪をつけられ、地下に閉じ込められて生きてきた。
彼の心を動かす唯一のものはピアノ。ピアノによる旋律の記憶が頭から離れない。ある時、盲目のピアニスト、サムと出会う。音楽に触れ、サムと彼の養女ヴィクトリアとの交流を通し、ダニーは初めて愛することを知る。
そして明かされるダニーの母親を巡る衝撃の過去。ダニーの命を賭けた最後の闘いが始まろうとしていた・・・。

基本的には非常にわかりやすい映画だった。
アクションとヒューマンドラマの50:50、お茶の間で家族と観れるタイプ。
ダニー役のジェット・リーがいつもと違う演技に力をいれていたのがわかる。特に表情にこっていただけあり、どこか人間離れしていた。

以下、ネタバレ
「おまえは俺と同じだ、所詮は獣なんだ」というような科白をこぼすバート。
彼にとってダニーは自分の分身、憧れだろう。
自分を含めてダニーの獣的な部分には嫌悪を示すが、同時に愛している。
殺せないだろうさ。唯一の理解者かもしれないもの。
精神は獣、肉体は獣。それぞれの不幸。

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